Office Matching Mole on the Web/週刊モグラ屋通信 11



 週刊 モグラ屋通信 第26号 2000.12/11  


私たちのオフィスのある岡崎市という地方都市になると、どの書店でも必ず『BT 美術手帖』が置かれているわけではなく、幸運にも置かれていたとしてそれが1冊よりも多いということはまずなく、そういうことはあまりないのだけれどたまたまその1冊が売れてしまっているということも稀ではありますがなくはなく、『BT 美術手帖』と言っても分からないほとんどの書店員に説明したり取り寄せたりする労力も惜しいので、この間から定期購読を始めました。しかし、美術出版社から送られてくる書籍小包にはいつも オフィス マッチング・モラル様 と宛名が書かれており、申し込み用紙に書いた私の文字はそんなに下手で誤読を招くものなのか? といぶかしんだり、どうしても私たちにモラルを強要するのね! と被害妄想におちいったりしている内藤です。


えーっと、このところトヨタ・アートマネジメント講座の議事録作成のためにテープ起こしされた大量の非常に興味深く有益な情報に首まで浸かって編集作業をしているのですが、そのおかげでこのところ注目のNPOについてもいろいろ自分なりに考える余裕がでてきました。オフィス マッチング・モウルは非営利ではございませんで、将来的にもNPOにしようという考えもございません。これは、私と池田がともに画廊という、アートに関わるビジネスの世界の出身であるということに起因するのだと思います。目の玉が眼孔から、心臓が口から飛び出る程にアートで大儲けをしたいと考えているわけではありませんが、もしこの国でアートが社会に本当に必要とされる状況があるなら、それに従事する職業の人間がその他の職業、たとえば役所に勤めたり企業でサラリーマンをしたりするたくさんの人たちと同程度に労働の対価を受けるのは当然なわけです。そして、その人たちと同じように努力次第ではステップアップしてより多くの収入を手にするというのもしごく当たり前のことで、NPOを否定するというのではなく、普通のビジネスとして成立できないという現状に異を唱える意味もあって「あえて営利を目指す」なんて宣言したりしているのですね。まぁ、そんなこともあって、先日オフィス マッチング・モウルは岡崎商工会議所の会員になっちゃったりしました。商工ですよ、商工。これですよ、これ、って感じです。


引き続き内藤はTAMの議事録編集に追われたり企画書を書いたりするデスクワークの日々。自分に課した締め切り間近、というよりもう過ぎているかも……(遠い目)。池田は岡崎市美術博物館で来年2月に開催される展覧会とカタログの制作サポートということで、書類の束というか山を抱えて東奔西走中。疲労も極限状態で、倒れ込むように事務所にたどり着く姿を見ていると、年末には昨年同様ドライブがてら温泉付忘年会でもして労をねぎらわねばと思います。ちかちゃん、がんばれ! ゴールはあと二ヶ月も先だ!  (上写真: とりあえず内藤の自宅で労をねぎらわれている池田ちかと、自家製からしれんこんに喜ぶ我々の友人杉浦明子さん)


という調子でふたり手分けしてばたばたしているうちに20世紀も終わってしまうのね。忙しさに紛れて、最近はアートなおでかけがあまりできないのが残念。唯一でかけたのが11月25日、古巣のノブギャラリーにて開催された平田五郎展のオープニングでした。その平田五郎のインスタレーションが個人的に相当気に入ってしまいまして、チャンスのある方はぜひおでかけいただきたいと思います。余力があれば写真でも撮ってご紹介したいところですが……。ひとまず こちら で作品の外観だけでもご覧ください。この作品の中に入れるんですよね。作品はワックス(つまり蝋です)で出来ていて、膝を付いて這って中に入って、どんどんくねくね進むとさらに中に階段があって2階建てになっている。その2階の、まるで一人用の棺おけみたいな空間に横たわって、やはりワックスで出来た天井から入ってくるやわらかなやわらかな光に包まれて至福のひとときを過ごしました。しかし、ものすごく太った人は中に入れないかもしれない。入っても中で詰まってしまうかもしれない。ちょっとどきどきしますね。それと、その狭い空間をもそもそ這っていると、小学校の修学旅行で奈良の東大寺大仏殿へ行った時、太い柱の下に空いていた子どもか小柄な大人なら通れるという穴を潜りぬけたことをふと思い出してしまいました。引率の教師はそれを「大仏さんの鼻の穴と同じ大きさだ」と言っていたし、そう思っている人は多いと思いますが、実際にそうなのか今もわからない。奈良時代から続く都市伝説(?)だったらすごいですね。


さてさて、12月10日は岡崎商工会議所が主催した『まちの魅力提案コンテスト』の表彰式。オフィス マッチング・モウルのプランは、応募総数134の中から9点の入賞作品に選ばれました。事務所的には最優秀賞10万円を狙ったのは言うまでもございませんが(わはは)、力及ばず佳作でございましたです。が、晴れて賞金1万円をゲット。これで池田を温泉に連れて行ける……、ってどんな温泉なんだろう? こういう地方都市でまちづくりのアイデアが公募される時、応募作でありがちなのが、たとえば岡崎市の場合は地場産業の石材業にちなんで「石都岡崎にちなんで御影石のベンチを作る」とかいうパターン(ベンチの他にも40年くらい前のセンスの抽象彫刻風オブジェとかもあり)。だから、もしこのコンテストでそういう相変わらずなアイデアが最優秀賞なんかを取ったりした日には、ちょっと暴れてしまおうか? と密かに思っておりましたです。でも、さすがにもうそういう時代じゃない。受賞作のほとんどがコミュニティということを強く意識したもので、ものより人の時代であるという認識はすでに定着しつつあるんだと再確認しました。これは私たちが仕事をしていく上で必要な環境が育ちつつあるということでもあります。1万円が100万円くらい嬉しく感じられた一日。  (上写真: 表彰状と賞金1万円を手に受賞の喜びをあらわにする内藤)


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 週刊 モグラ屋通信 第27号 2000.12/28  


わぁ〜、今年ももう終わってしまう。今年が終わるというよりも20世紀が終わるのですね。今はまさに世紀末。そういう世紀の移り変わりの時期にいるという実感がほとんどわかない内藤です。オフィス マッチング・モウルも設立2年目となましたが、現在もまだまだ経済的には自転車操業状態 (正確には自転車ではなく三輪車です。きこきこ) 。数ヶ月先にはコピー機のリース代金支払いが出来るかどうか? どきどきしながら、毎日仕事に明け暮れるモグラ屋二人組なのでした。相変わらず、ふたりとも担当仕事 (池田:『ジャズの街角 PART3』岡崎市美術博物館、2001年2月開催 / 内藤:『トヨタ・アートマネジメント講座名古屋大会2000会議録作成』2001年3月発行予定/ 『ファン・デ・ナゴヤ美術展 仲介者たち』名古屋市新市民ギャラリー、2002年1月開催/ 『世界劇場会議 国際フォーラム2001 プレイベント』愛知芸術文化センター、2001年2月開催 ) に追われつつ、20世紀の最後のひとときを終えようとしています。


昨日は池田が今年最後の出社日ということで、するべき打ち合わせやら年内にとりあえず出しておこうという請求書の作成やらをしておりました。作った請求書の通し番号が「一桁」であることに気付いた池田が「はぁ……。来年はもっとたくさん請求書を出せるようにしましょうねぇ」といい、私が「そうそう、100枚くらいは出してしまおう」といい、それを受けて池田が「もう請求書を書く専門のスタッフ (どういうスタッフなんだそれは?) も雇ってしまいましょう!」などと妄想が暴走してゆくのどかな昼下がりでございましたとさ。来年の目標もいろいろ立てました。一番大きな目標は「事務所を持つ」というやつです。いえ、一応今も事務所はあるんですが、それは内藤家の一室に間借り状態。そりゃあ、私たちふたりが外で打ち合わせをしていても、内藤母が宅急便とか受け取ってくれるは、ついでにお昼になれば私と池田の昼食まで作ってくれるわで大変感謝してるし……。しかし「出世払い」と豪語して寄生しているというこの事実は、社会人としてかなり恥ずかしいことであると反省はしているのでございます。そして、何よりも現時点では事務所にお越しいただく際は、アポイントメントオンリーという形態も場合によっては良し悪しなんですね。たとえ外に事務所を持っていても、スタッフ総勢2名のオフィス マッチング・モウルとしては、基本的には連絡入れてもらわないとふたりとも出払っている可能性も少なくないわけですが、それでも込み入った話の場合資料のある事務所で打ち合わせとか出来たら、今みたいに打ち合わせの度に大荷物を抱えて右往左往しなくてすむケースも増えるというもの。仕事の効率からみても魅力的なんですよね。そんなこんなで来年は「家賃月額3万円台まで (ここ重要) の事務所を探す」という大きな目標を立てました。家賃3万円の事務所が大きな目標というのが、私たちらしい慎ましさといえるでしょう。大都会では困難であろうこの計画も、地方都市においてミッションを遂行するのが池田と私であるとすれば不可能を可能にするミッション・インポッシブルなのです。


そのミッションは、ネットワークと熱意と運という三拍子がそろった時、必ず実現できるはず。かくいう不肖ワタクシ内藤も、今年の夏から風光明媚な場所にある一戸建て5部屋 (うち4部屋が南向き) 、小さいが庭付きの家を月2万5千円で借りて住んでおり、まわりの人間には奇跡の人と呼ばれています。まったく「ネットワークと熱意と運という三拍子」がそろっていたのですね。その家の建つ崖の下の「急傾斜崩壊危険地域」という市の警告看板を見なかったことにし、大家さんも目をそむけ維持管理の匙を投げたボロ屋を自力で改装すればOK。さすがに襖の下張りから日露戦争時の新聞が現れた時には、ちょっぴり驚きましたが (「旅順港に砲声」だって……) 長い人類の歴史からみれば50年や100年なんてどうということないです。さらにペンキ屋には即戦力で、左官屋には丁稚として奉公できるだけの技術と体力は、ギャラリーに長く勤めた人間ならば結構有しているものさ (その上力持ちでもあるのさ) 。このテクニックが池田と私のふたりぶんなんだから、どんなボロ屋でもなんとか素敵なオフィスに改造できるに決まっているのです。ふっ。というわけで、来年のモグラ屋通信には「新しい事務所へ引越し」というお題で何か報告したいと思っています。


と、20世紀最後のモグラ屋通信は、威勢良く自らにプレッシャーを与えたところで終わりたいと思います。ここを読んでくださっている方々、ありがとうございました。来年も、オフィス マッチング・モウルをどうぞよろしくお願いします。では、よいお年を!



     
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