Office Matching Mole on the Web
オフィス・マッチング・モウル 週刊モグラ屋通信 47


本日の担当:池田
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 週刊 モグラ屋通信 第114号 2005.5/1  

前回のモグ通の「ボディコン」に「マハラジャ」という恥ずかしい回想が好評? だったことを受け、今回はわたしの若かりし頃の話を少し。
 
ボディコンが流行った頃というのは、まさにバブル絶頂の時期だったと記憶します。何を隠そう、その頃二十歳を迎えたわたしが地元の成人式に着ていった格好は、振袖ではなくジュンコ・シマダのボディコンスーツでした。当時ボディコンといえば、ジュンコ・シマダかアライヤ (だったと思う) 。肩幅がっちり、ウエストはググッとくびれたジャケットにミニスカート、超ハイヒールという姿は、みんな振袖姿のなかでけっこう目立っていたのではないでしょうか (ちなみに髪型はフラッパー、わかります?) 。そんでもって、式のあとは、その格好でマハラジャかアビーム (当時名古屋にオープンしたばかりのディスコ) にくり出したんじゃなかったか……。これまた恥ずかしい回想であります。
 
そんなバブルの頃、上京していちおう「女子大生」であったわたしは、勉強などほとんどぜず、バイトと遊びに忙しい毎日を送っておりました。Hanakoでおしゃれなバーやクラブをチェックし、ウォーターフロント (東京都港区湾岸あたり) を毎夜遊び歩いていたのを思い出します。当時の女子大生というのは、バブルの恩恵を受けた人種ランキングのなかでかなり上位でした。女子大生というだけで世間はチヤホヤしてくれ、若いボーイフレンドをアッシー、オジサマをメッシーなどと使い分け、世の中は自分中心に動いてると本気で思ったものです。まさに怖いものなしでした。男たちに金品を貢がせていた友人も多かったし (わたしは違います) 、就職先も商社やマスコミなどよりどりみどりだったのです (わたしは違います)
 
で、そんな女たちが年を経てどうなるか……。30代・未婚・子なしの女は〈負け組〉って呼ばれるそうですが、でもわたしのまわりを見るかぎり、勝ち負けの意識ってあまりないように思えます。とくに30代後半のバブルの洗礼をもろに受けた女たちって、いまだにバブルっていうか、ある意味バブルの開放感や大らかさがそのまま持続していて、本人たちはいたって幸せな人が多いような気がします。もちろんこのご時世ですから、ブランド品をたくさん身につけたり、しょっちゅう高級料理を食べに行くことはできませんが、それを叶えることが幸せだし、それを目標にバリバリ働いたりしている。バブル期に培われた高級志向という豊かさを知ってしまったからね。いい意味でも悪い意味でも。体に染みついたこの感覚をそう簡単に消すことは出来ないわけです。おそらく、ひとつ下の世代であれば、稼いだお金は貯金するであろうところを、この世代はパ〜ッと派手に使ってしまう、そういう人種です。幸福というか不幸というか。
 
ということで、わたしもそんな人種のはしくれ。時々バブル感覚がよみがえってくることもあり。しかしながら、それを実現させる資金力が不足しているため、つつましく地味に生活している今日このごろ。前回、美容院に行きますと断言しておきながら、いまだに行かず、前髪がうっとうしいので自分で散髪。しかも切りすぎてチョンチョン。うちの山口にも指摘されてしまった。つつましいというかこれはいいかげんと言うべきだな。ほんとうにこれはマジにマズイ。深く深〜く二度目の反省。次回は〈女〉復活編の話ができるよう努力します。
 
 
現在進行形の仕事
三河・佐久島アートプラン21 『佐久島体験2005 祭りとアートに出会う島』 企画・制作
岡崎市シビックセンター 内田修ジャズコレクション 展示コーディネート/継続中
 

本日の担当:山口
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 週刊 モグラ屋通信 第115号 2005.5/9  

佐久島で行われる春のイベントのトップバッター、「ようこそ佐久島! 渡船場大作戦」が、ゴールデンウィーク中に無事終了しました。このプロジェクトは、以前から佐久島にボランティアで来てくれていた学生を中心とする愛知県内の芸大に通う学生8名が、佐久島行き渡船場をきれいに使いやすく変えてしまうという、言ってみれば「劇的ビフォーアフター渡船場版」です。暗い雰囲気で、雑然としていて佐久島に関する情報があまり得られない渡船場を、何とか変えてほしいという願いを持つマッチングモウルをはじめとする大人達からの大きな期待を背負った学生たちは、見事、劇的に改造を成し遂げてくれました。 (写真:暗い汚い分かりにくい 三拍子そろったビフォー外観)
 
完成した渡船場は、外壁が白と水色で統一され、青い海と空に囲まれた佐久島らしいさわやかな雰囲気となり、整理されて目につきやすくなった佐久島の情報が満載のポスターやパンフレットを見れば、佐久島へ行くワクワク感が高まること間違いなし。その上、以前は昼間でも薄暗かった待合室も、内壁が白色になったことで電灯など必要ないほど明るくなり、また、畳や木の長椅子など以前からあったものをきれいに掃除して活かして使用しているため、安心感のある空間に。これからは船の時間より早めに到着しても、ゆったりくつろいで船を待てます。逆にゆったりしすぎて船に乗り遅れないようご注意を。 (写真:劇的アフター外観)
 
ゴールデンウィークを返上して、このようなきれいで使いやすい場に改造してくれた、学生ボランティアのみなさん、本当におつかれさまでした。昼食は手作りのおにぎりで、打ち上げの夕食会もファミレスという、バブル時の大学生でなくても金銭面だけで見たら魅力のない話だけれど、達成感や自分たちが制作したものに対して学校の課題とは比べ物にならないほど多くの反応が聞けること、ボランティアのお礼に島の人のお宅にお招きいただいてものすごくおいしい手料理をごちそうしていただき、心から感謝されることなど、お金には変えられない体験ができたのではないでしょうか。私もこのような経験が学生のうちにもっとできていたらと思うと、うらやましいです。ついでに、睡眠時間は4時間半で充分と言って毎晩夜中の3時までトランプとおしゃべりに熱中できる若さもうらやましい。若者は本当に体力があります。 (写真:劇的アフター待合室。ちゃぶ台も作ったんです。)
 
この学生ボランティアたちの活躍は10月にもまた見られます。10月に開催予定の「佐久島アートガイド大作戦」が今から楽しみです。どんなおもしろい企画になるのか。ご期待ください。
 
 
現在進行形の仕事
三河・佐久島アートプラン21 『佐久島体験2005 祭りとアートに出会う島』 企画・制作
岡崎市シビックセンター 内田修ジャズコレクション 展示コーディネート/継続中
 

本日の担当:内藤
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 週刊 モグラ屋通信 第116号 2005.5/18  

だらだら続いております、大阪万博話その3。その1。世界との距離感、それからその2。想定できなかった近未来に続く今回は、「科学の進歩=輝く未来」だった頃のお話です。
 
時代に刷り込まれた価値観というのは、簡単に変わるということはないでしょう。たとえばバブル時代の申し子である池田が、貧乏な今でもあの頃の価値観にある意味支えられて生きているのと同様、私たちの世代というのは、「科学の進歩=輝く未来」だった60〜70年代の価値観を今も捨て去ることは難しい。いや、中には反動で「地球にやさしい」とか「エコロジー」だとかいうのを価値観の第一に持ってくる人もいます。私だって「地球にやさしい」とか「エコ」とかであることについてはやぶさかではないのだけれど、それが“価値観の第一”とは言いたくない気持ちが、根底にはある。なんかそれを言ってしまうと、60年代生まれの私としては“敗北感”すら感じるのです。これって、若者には理解しがたい感覚なのかもしれません。
 
何年か前に韓国で“638世代”というのが話題になってました。当時、韓国人留学生に「“638世代”って、60年代生まれで30代で80年代に大学生活送った人たちのことなんですよ」と聞いて、「おお、それってどんぴしゃ私たちの世代じゃん」って思ったもんです。それは日本では「オタクがオタクとして認識された世代」でもあり、私や小川信治が愛するとある文学ジャンル(笑)の人たちも、この世代に集中している。ついでにいえば、アートの世界でもアーティスト、ギャラリスト、私と同業であるアート・マネジメント関連にとっても多い。多いだけでなく下の世代と比べてうるさいので目立っている。第二次世界大戦後すぐに自由経済の元に民主化されてる国なら (韓国は少し時代がずれるけれども) ほぼ同様の状態といえますでしょう。共通するのは「科学技術の進歩と明るい未来がセットになっている」という希望的観測的価値観を持っていたこと。
 
それは今から考えるとバブル経済と同じくらいに能天気な価値観と考えることも可能でしょう。でも、今となってもそれを否定して「人間の幸福にとって必要なのはこのくらいの科学技術で十分」だなんて言えないし、言いたくもない。科学技術の発展によってもたらされるさまざまなマイナス要因は、人間の知恵 (=新たな科学技術) で克服するべきだという考えを放棄することは難しい。「エコロジー」と同じくらい「コミュニケーション」とかを第一価値観にもってこられると「けっ」と思う。軟弱だなぁ、と。アートの場合なんかはさらに、展覧会とか作品とかでそういうのがテーマだと脱力してしまう。ちいさいなぁ、ちいさいちいさい、了見が。宇宙はこんなに広いのに、引きこもり同士のコミュニケーションなんてどうでもいいじゃん、みたいな。
 
佐久島の仕事をしているので、私が地球にやさしいエコな方向性だと思う人もいるかもしれません。でも、佐久島でやっていることって、そういうことじゃあないんです。島の伝統文化や自然に、異物である現代美術を持ち込むことで化学反応を起こそうとしているのです。異なるものの出会いから発生する摩擦熱みたいなものをきっかけに、新しい世界の発見に結びつくように。銀河のかなたに出かけなくても、新世界を見つけることはできるはず。それがアートのちからじゃなかったっけ? 少なくとも私は佐久島に常設展示されている木村崇人の『ガリバーの目』を見た時、「人間の脳ってすごい」と電気ショックみたいな衝撃を受けましたよ。癒しじゃないんだなぁ、もっとポジティブなの (そういえば木村崇人のテーマも“科学とアート”でした。もう私の好みが炸裂だ) 。まぁ「戦略としての癒し」みたいな言い方は可能ですが。
 
生まれるたった18年ほど前、私の親が子どもの頃は空から爆弾が降ってたというのに、物心付いた頃にはテレビや電話や車が一般家庭にどんどん持ち込まれ、さらに人類が月まで行っちゃった時代――。その洗礼を受けた身としては、未だどっぷりとあの時代の価値観に漬かっているな、と思います。大阪万博というのはつまり、そういう時代の価値観のモニュメントだったんだな、と思います。あれは、価値観をかたちにしたものだったんだな、と。ひいき目に見ても、かなり単純という指摘はごもっとも。科学技術の進歩がもたらすマイナス要因 (わかりやすいところで言えば公害問題。4大公害訴訟とか言えますか? 私は言えます) の大襲来を迎える直前の牧歌的モニュメントです。「進歩と調和」が大阪万博のテーマだったけど、どうも調和の方はイマイチだったな、とかね。人間は科学技術の進歩の上をいく馬鹿げた愚行を繰り返すことも承知の助。けれどそのモニュメントがもたらし、さらに今も捨て去りがたく自分の中にあり続けるのは、単純な「科学技術の進歩」ではなく、その奥に感じ取ることのできたセンス・オブ・ワンダーと人類の持つ可能性への期待なんだけれども……。今の美術の世界に足りないのはまさにこれだと私は思うのですが、当然ながら現時点では業界的にマイナーな考え方であることは否定しません。(で、「三菱未来館」はどうなったのよ? 飽きてなかったら続く)
 
 
現在進行形の仕事
三河・佐久島アートプラン21 『佐久島体験2005 祭りとアートに出会う島』 企画・制作/5月18日更新
岡崎市シビックセンター 内田修ジャズコレクション 展示コーディネート/継続中
 

本日の担当:池田
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 週刊 モグラ屋通信 第117号 2005.5/23  

バブルの申し子、池田です。「ボディコン」「マハラジャ」というキーワードからバブル時代の回想へと発展した前回。なかでも当時「イケイケ」だった女子大生とその後の人生については、まあこれは自分のことでもあるわけで、いろいろと感慨深いというか、時の流れを感じつつ、しばらく思い出に浸ったりして楽しんでいる今日この頃。
 
で、そんなバブル=青春の話に反応してくれた方がおりまして、当時の男子学生なんですけれども、これがまた当時の典型的な男子学生の話のように思えて、とてもおもしろかったのです。 その人も私と同じく地方から上京してバブル最盛期を東京で過ごしました。でも当時の男子学生は女子大生よりも恵まれた環境とは言えず、「ディスコ」に行くためのお金を稼ぐために青山あたりで深夜の道路工事のアルバイトに精を出し、晴れて「キンクイ」に出かける日には一張羅のスーツをめかし込んで日比谷線に乗ったとか……。これって (少なくとも私のまわりでは) 地方から出てきた男子学生の半数以上はこんな生活だったと思います。 それからその人、その深夜のバイト中にBMWに乗った若者に道をたずねられ、そのお礼に千円札を差し出されて拒むことができなかった屈辱的な思い出もあるそうで……。いやいや、その光景、目に浮かびます。当時深夜の246号線ってやたら工事していたような気がするし (じつはそのBMWの助手席に乗っていたのが私だったりする) 。知り合いにも女の子にティファニーの指輪を買ってあげるため、深夜の道路でバイトをしていた男子がいたな…… (すみません、それ当時の私の「アッシー」かも)
 
そんでもって、バブル期を経験したそんな男子学生がどうなったかというと、“今にBMWみたいなプチブルが乗るちゃちな外車じゃなくて、車好きの人種が振り返るポルシェに乗ってやる!”と背中から紅蓮の炎を出しながら社会人になり、月日を経て念願のポルシェを手に入れた今、“うれしいとかいうよりも、バブルというものに自分なりの落とし前をつけたような気がします”という話。
 
やっぱり、男の人はロマンチストなんでしょうか。女には落とし前をつけるという発想もないし、バブル期に刷り込まれた欲望の原型に欲望を重ねて変化させながら、一生バブルで楽しく能天気 (本人は真剣だったりするけど) に生きていけたらいいと思っているんです。 そんなこんなで、まとめてしまうと、人にはそれぞれ青春があり、その時その時代の価値観に感化されたことは後の人生にかなりの影響を及ぼし、それが人生を、またいろんな世代が混在する社会というものを楽しくしているんでしょうね。
 
思うに、何はともあれ、とにかく今を精一杯生きることにつきます。バブルも今のつつましい時代もそれなりに日々全力で過ごしたらいいんです。いつか自分の人生をあれこれ振り返ってほくそ笑んでいる。これ老後の楽しみであります。 さて、女復活宣言したわたくし。おとろえた肌をどうにかするために、なけなしのお金をはたいてエステに行くかどうかを今真剣に悩んでいる。やはりバブル女ですな。しかしウン万円も出すくらいなら美肌効果のある温泉も悪くない。でもやっぱりお金ないぞ。誰かエステや温泉以外でよい方法があったらおしえてください。とくにシミと毛穴ひきしめに効くヤツを。
 
 
現在進行形の仕事
三河・佐久島アートプラン21 『佐久島体験2005 祭りとアートに出会う島』 企画・制作
岡崎市シビックセンター 内田修ジャズコレクション 展示コーディネート/継続中
 

 
     
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