はじめに
北川フラム氏
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岡崎をもっといきいきとした街にするためには、どのような方法があるのだろうか。よりよいまちづくりのための具体的な方法を提案しながら活動を続けてきた『21世紀を創る会・岡崎』の主催により、オフィス マッチング・モウルはアートという視点からまちづくりの可能性を考えるレクチャーを企画しました。
講演者である北川フラム氏は、現在日本におけるパブリック・アート (公共空間に美術作品を設置していくこと) に積極的に取り組んでいます。その仕事はアートが本来もっている人の心を動かす力や記憶の蘇生と未来への希望を露出させていくという力を、まさに現場の最前線で引き出し、かたちにしていくという幸福と困難をともなうものです。しかし今回のレクチャーではそんな臆面などかき消すかのように、これまで手掛けてきたさまざまな公共事業の事例から今年の夏に始動する新潟の越後妻有のプロジェクトまで、息もつかぬほどに語っていただきました。終始アートへの強い信頼と愛情を感じさせるそのお話は、講演会の参加者にも十分に伝わり、その後の懇親会ではリラックスしながらも、岡崎のまちづくりのためにいざ動き出そうという雰囲気で盛り上がりすぎたほどです。
「21世紀を創る」というその名のとおり、未来への創造はつねに今とつながっていて、さらに22世紀へとつながっています。世界は今いろいろな問題を抱えていますが、逆に言えば、ようやく心や精神の問題をごまかし隠すことなく語りあえる時代にもなってきたということです。そういうなかでアートが美しく、面白く、豊かに世の中に貢献できる場、それを子どもたちに引き継いでいける場をひとつでも多くつくっていけたらいい。そう素直に感じることのできた講演会でした。そんな北川フラム氏の講演を抜粋して下記に紹介します。
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講演会内容抜粋
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今日は、まちづくりということのなかで、主に中心市街地と美術との関わりに焦点をあててお話ししたいと思っています。戦後、美術がどのように街のなかに入ってきたかというと、ひとつはギャラリーや美術館の延長で外に作品を置いてきたということ。もうひとつは公園の中にアートを置くという流れ。この二つが日本の街のなかの美術の大きな流れをつくってきました。そして1980年代にふるさと創生ということが言われはじめ、国土庁が景観にアートがいいと言い出した時期があります。そしてバブル崩壊。ところが昨年、建設省が街にアートが効くということを白書で言い出した。これは非常に画期的なことです。このことは今までのアートがただ街に出てくることとはまったく違った意味を持ってきます。
要するに今までアートというのは建物と建物をつなぐ風景としてありました。そして次にアートは建物あるいは空間と人間をつなげてきた。そして今言われているアートというのは人と人とつなぐ要素ということです。これは阪神淡路の大震災が終わってから、そう言われてきている。つまり、まちづくりや都市計画というのは阪神淡路で大反省をせざるをえなくった。その時にどうもハードだけではない、街をつくるということにコミュニティやコミュニケーションというのはものすごく重要だということ。今の日本の街というのは再開発をしながらつくってきたわけです。その時にハードだけではなく、コミュニティあるいはソフトというものを考えていく時に、アートというものがものすごく重要な役割をもつことがわかってきた。
この20世紀末になって来世紀をのぞむ時期に、どうも地球全体、文明全体が大きく曲がり角にきている。そういう時にアートのもっている属性というものがどうも非常に大きなはたらきをしているのではないか。それは街をつくっていく時、都市計画をしていく時も大きな要素になるんだということがわかってきた。だからどうやら時代がアートというものをひとつの焦点としてきているのではないか。もうひとつ、アートというのはこの10年くらい前まであまり元気がなかったんですが、最近ものすごく元気が出てきた。それはなぜかといいますと、アートの先端の頑張っている人たちが扱っているテーマ。まず民族問題、宗教問題、地球環境の問題、ウィルス、エイズ、遺伝子の問題、あとメディアの問題、ライフスタイルの変化、ジェンダー、男女の性差。そういうことを含めたことが今美術の最前線といいますか、意識的な人たちが扱っている問題なんです。
そうやってみてみますと、もしかしたら美術は今この混迷の時代に、もちろん論理的じゃないかもしれないけれども、手を通してというか、頭脳を通してかもしれませんが、感覚を通してかもしれませんが、手を通してつくるものに、ある予感といいますか、そういったものを美術が扱っているということがあって、どうも美術に元気が出てきた。長い歴史がある世界では美術というのはものすごく尊敬されてきました。そういうことをもう一度考えてみますと、今美術が本当に正面切って地球あるいは文明の課題を扱い出してきたということで、美術にもういちど焦点が当たってきている。そういう意味で、まちづくりにおける美術の問題と世界的に美術がやろうとしている問題がつながってきたということがあって、少し面白くなってきたということがあると思います。これが私の今日の結論です。それをスライドを使いながらご説明したいと思います (スライドの写真はありませんが、写真を補足する意味で解説をいくつか記しておきます) 。
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事例
● 渋谷ハチ公/ 長崎の二十六殉教者記念像
戦後日本のパブリックアートはこれら記念碑的 な作品を中心に設置されてきた。
● ファーレ立川
1994年に立川市の再開発計画に沿って設置され た現代美術の作品群は、日本のパブリック・アー トのあり方のあたらしい可能性を提示した。北川 氏はそのアートディレクターでもある。
● 釧路シビックコア
● ミネアポリスの橋
交通量の多い道路によって分断された旧市街と新市街を結ぶことを目的に計画されたこの橋のプロジェクトは多くの住民の参加する大論争になった。治安の悪い旧市街からの人の流れを拒むこと、また、景観問題など争点は多岐にわたった。結局この橋はアーティストによって提案された「人がやっとすれ違える程の幅」というかたちで建造されたが、このことはコミュニケーションの手助けになったとして住民に好評を得た。
● ワロンの食堂
フランスの小さな田舎町の古い建物には、壁一面に絵皿が飾られている。この絵皿に描かれているのは、すべてこの町の住人の横顔(影絵風に)で、町の人々はこの建物に集まって食事をする。
● 新潟県の高田
新潟県高田氏は北川フラム氏の故郷。城下町という古い歴史を持つ反面、現在は市街地の空洞化が進んでいる。この町を再び活気のある場所にする活動を北川氏は続けている。
● 代官山ステキ発見
代官山は北川氏が長く事務所を構えて働いている場所。地域の住民と連携しながら、まちづくりをすすめている。
● 新潟県越後妻有
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「パブリックアート」という概念を日本で考えることは非常に難しい。公共の場所でなくてもパブリックということはいくらでもあるわけです。本当は市民という概念が必要なんですが、結局まちづくりというのは市民というか、そこで何かやっていくときに興味と責任をもって関わっていく人たちが、どうつくっていくかということしかない。
街の開発にアートというのはかなりの意味をもつ。つまりそれは作品が置かれているというよりは、いろんな人間の姿です。アートというのは各々のアーティスト、100人100様のかたちでこの街に投下されていく。自分の嫌なものもあるし、好きなものもある。その多様さを共有すること、そのことによって地域に陰影ができていく。ファーレ立川では、アーティストという個の変化した姿を街のなかにうめこみたかった。わたしはここを一種の森だと思って作業したわけです。
何か新しい開口部をその街がつくる。過去のものだけを出すのではなくて、その街が自分たちのつながりたい世界をもう少し出していく。希望というか、そういうことを考えることもその街らしさ、その街のアイデンティティだろうと私は思っています。
アートが入ることによって起きる大反対こそが、本当はまちづくりにいちばん役に立つとすら思っているわけです。その時に文化というものは何かと人は考えていく。それが重要だと思います。
これは私が考えるアートの非常に面白い姿だと思います。つまりアートというのがこの街のコミュニティを確認するいい機会になっている。これはアートのはたらきの結晶みたいに私には思えます。
これが将来、そのなかからもう一度城下町の骨格というものを幻視するというか、幻を見ていくことの中から、街というものを考えなくてはいけないのではないかと私は思っています。
地域というものともっといろんなかたちでつながり、なおかつ新しい発見をしていくような街というものを探していこうとやっている最中です。
アートとアーティストが入ることによって街が刺激を受け、なおかつ新しい発見がされるような、そういうなかで地域をもう一度つくっていこうということでやり出しています。 参考:越後妻有大地の芸術祭公式ウェブページ http://www.echigo-tsumari.jp/
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さいごに
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最後ですが、まちづくりはアートが関わってくると面白くなるし、問題は多いようですが、ちゃんと進んでいくと他にはない効果や可能性というものを引き出すということがいろんなところで少しずつわかってきました。岡崎というのは歴史的な土地であるし、美術に関してもいろんな意味で背景がいいということがあると思います。まちづくりに関しても、かなり面白いことができるのではないかと思っています。
[ 2000.1.10 /文責・池田ちか]
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